

玄関に暖簾をつけました。
ここに入居を決めたときから計画していたのを、ついに。
というのも玄関は西向きなので、強烈な西日が入る。
古い建物なので家の中は風通しが良いのだが、
玄関だけは日差しを遮らないと蒸し風呂状態。
暖簾をつけたことで、戸を開放できるようにもなり、
室内環境が劇的に良くなった。
暖簾には中央にめでたい二羽の鶴を描き(鶴が好き)、
左下には「意匠」の印をあしらった。
次は、表札を作る。
photo : yuyasuzuki






また新たにブログを作ることにした。
何個も作ってどうするのかと思われるかもしれないけれど。
仕事上のブログでは、投稿内容に起承転結をつけなければと考えてしまい、
結果、筆が進まないということがままある。性格上、見え方も気にしてしまう。
写真を載せるにしても、撮り溜めてはいるのだがどうしても選んでしまい、
載せるクオリティに至らない気がして思い留まることが多いのだ。
30を迎えたこともあり、先の展開を明確に考えなければいけないと常々思う。
そんな時、過去の自分がどのような事に考えを巡らせていたか、
それぞれの局面でどのような回答を出してきたか、振り返ることも必要だ。
学生の頃、仕事を始めたての頃、いまよりももっと純粋に
デザインについて考えていたような気がしてならないが、
これまで、筆不精が祟って記録を残してこなかったために
振り返ることもできず、後悔することが増えてきたので
この機会に、その時々に考えていることを気軽に書き留められる
新たな媒体を、自分のために作ることにした。
見られ方を気にして推敲する事も、翌日に見直して削除することもしない。
結論に至らなくとも、その日の出来事や悩み事、考え事をを記録するだけでいい。
未来の自分が、今の自分と対話するために。
その場所を、dialogueと名付ける事にした。








何のためにものを作るのか?
ずっと昔、器は、水を汲むために作られた。
始めは葉っぱだったろう。後に土器、陶器、ガラスと改良された。
持ちやすく、壊れにくく、口当たりが良くなるように。
ずっと昔、印刷は、人に何かを伝えるために作られた。
始めは木版だったろう。後に活版印刷、写植、DTPと改良された。
作りやすく、より正確に、より色鮮やかに、そしてより沢山の人に伝えるために。
ずっと昔、家は、雨風をしのぎ、安心して暮らすために作られた。
始めは洞穴だったろう。後に竪穴式住居、組石造、木造、RC造、鉄骨造と改良された。
より快適で、清潔で、安全で、長持ちするように。
しかし、現代は「作ること」そのものが目的になってしまい、
「何のために作るのか」という根本的な意図は目的ではなくなっている。
今、僕たちは何のためにものを作っているだろうか。
友達が、自分でものをデザインした後に、
「作ってはみたものの、だから何なんやっちゅう話やねん」
と思ってしまうと言っていた。
そのデザインは素敵なんだ。アイデアも表現もレベルが高い。
でも、だから何なんだ。
面白いものができたが、これは、社会に必要なのか。
自分自身も、ずっとこの壁にぶつかっている。
デザインの目的と、作ったものの存在意義との間に溝ができてしまっているのだ。
器は、デザイナーがいなくても、職人さんがいれば作れる。
家は、大工さんがいれば、建築家がいなくても建てられる。
なぜそれをデザインする必要があったのか、という問いの答えを、
仕事をしていく中で、まだ形にできていないのだ。
「頼まれたから」というのは理由にはならない。
「デザインは嗜好品」と言っていられる時代ではない。
貴族の嗜好のためにあったデザインが、
アーツアンドクラフツ運動やインターナショナリズムによって
今は誰もが手に取り、求めることができるようになった。
ものづくりも分業化され、意匠を考える人と、実際に作る人が別れ、
デザイナーは印刷物やウェブ、建築を「作ること」ありきの存在となった。
誰も見たことのない斬新な表現、過去に例のない素材の使い方、
0.01ミリ単位で整えるこだわり、実写と見まがうほどの精巧なCG。
エンドユーザーは、社会は、本当にそれを求めているだろうか?
それらを否定しているわけではない。プロとして最大限のことをやるべきだと思う。
しかし、それらは本来ものを作る目的ではないはずだ。
もう一度、「何のために作るのか」という立脚点に戻ってみよう。
料理の写真撮影は楽しい。
プロのフォトグラファーではないので
大掛かりな機材を持っているわけではない。
そのハンディを、アイデアと表現でカバーする。
頭を使い、身体を動かし、環境を最大限に生かして
今、自分にできる最高のものを作る。
それを繰り返していくことが個性となって、
自分にしかできないものを生み出せるのだと、教えてもらった。
まだまだ全然ダメなんですけどね。
photo : yuyasuzuki





築地市場
仕事で築地の場内市場へ。
映画「築地魚河岸三代目」のモデルとなった
老舗仲卸さんに場内を案内していただいた。
雨の早朝にもかかわらず、じっとりと汗ばむほどの
ものすごい密度の活気と熱気。
命がけで魚を釣り上げる漁師、
どんな悪天候でも市場へ送り届ける運送業者、
集まった魚を受け取る卸売業者、
良いものを選び抜き、買い取る仲卸、
旬の魚を仕入れ、各地域で提供する魚屋、
そして、料理人によって仕上られ、
ようやく私たちの口に入る。
普段私たちが何気なく食べている一匹の魚には、
これだけの人々が関わり、沢山の思いが込められている。
周りにあるあたりまえのことは、
あたりまえにしてくれている多くの人々に支えられている。
yuyasuzuki


稲穂/畑
水始めて涸るる。
収穫の季節。
夕日に染まる稲穂が美しい。
頬に受ける風が冷たくなってきた。
秋の訪れを実感する。
東武日光線 楡木駅
去年の夏を思い出す。
一年前の自分はどうだったろう。
前に進んでいるだろうか。
今朝、自転車にセミの抜け殻がついていた。
また夏がくる。
photo : yuyasuzuki