28:
沢山のデザイナーの作品が掲載されている本を見た。
数多くの作品を見るほどに、
斬新で目を惹く今風のデザインではなく
普遍的でありながら、これまでに無かったようなデザインを
探している自分に気づいた。
FLASHやプログラム、CG、ドローイングなど
それぞれの分野の専門教育を受けていない自分には
欠けている技術が沢山ある。
以前は自分にはできない技術で作られたデザインに強く惹かれたが
今はそうでもなくなった。
人間の普遍的な感覚に訴えかけるものを作りたいと思うようになった。
そのためには、必ずしも最新の技術が必要ではない。
まず、今もっている技術で表現することが第一歩。
その表現を追及していくために、新しい技術がどうしても必要となるのであれば、
その時に考えよう。誰かの助けを借りてもいいだろう。
まずは、作ることなんだ。
02:
新しく作り出すために建築に向き合うとき、
毎回、必ずといっていいほど内省的な精神状態に陥り、
挫折感や先人への敗北感を味わう。
出口のない、壁の在り処すら分からない暗い部屋の中、
闇雲にさ迷い歩いている感覚。
作ってみたいもの、試してみたいこと、真似してみたいことが頭を埋め尽くし、
自分が作る意味があるのか、何を作るべきなのか、何処を目指すべきなのか、
肝心な部分は手掛かりすら見つからない。
不思議なことに、グラフィックやウェブのデザインをする際には
このような感覚には全くといっていいほど陥らない。
建築や空間をデザインする時だけなのだ。
やはり、自分の中での「建築」というもののプライオリティの違いなのだろう。
建築からは逃げられないし、逃げたくはない。
一生かかっても、身につけ、追い求めて生きたい。
02:
真理に近づくほどに、概念は収束していく。
様々な物事は、その真理を辿れば、
単純な理に行き着く。
過剰に装飾し、沢山の意味を付け加える必要はない。
ただ、真理を追い求めることによって、
物が持つ意味は無限に広がっていくのだから。
13:
価値を創出する。
新たな価値を生み出すために、必要なものをデザインする。
オブジェクトは過程で発生するものに過ぎない。
建築の存在そのものに価値を込めるのではない。
建築はあくまで媒体なのだ。
作家的な思想に寄りすがってものづくりをしていると、
作る物体そのものに価値を込めることを求めてしまう。
人間ひとりが考え、作り出せるものなどたかが知れている。
自分の想像力など地球の経てきた時間や人類の歴史に比べたらちっぽけなものだ。
これは、建築に夢を見ていた頃の自分の理想へのあきらめとも言えるかも知れない。
世界に評価される「作品」を作る建築家になりたい。建築は無限の可能性を持っている。と、
まだ作ってもいないのに、夢を見ていた自分への。
続く。
09:
自分のために作ったものが、最も自分らしい表現ができているように思う。
自分らしさを必要以上に意識することも無く、
ただ、自分がほしいと思うもの、良いと思うものが自然に現れている。
クライアントに最もふさわしい表現を模索するときは、
得てしてそこに自分を見失いがちだ。
依頼があって作るときにも、自然に自分らしく作れるようになりたい。
30:
「生き残るのは最も強いものでも最も賢いものでもない。変化できるものである。」
ダーウィン
この言葉が心に残った。
良いきっかけなので、今後しばらくは再び「伝統」について考えてみようと思う。
変わらないことと、変わらなければならないもの。
そのどちらも併せ持っていなければ、伝統は成り立たないのではないか。
中・長期的な時間軸だけでなく、超長期的な時間軸で考えてみたい。
30:
ものを作るとき、デザインする対象をもの自体からその先へとシフトさせてみる。
つまり、ものを見た人が感じる印象や認識、その先の行動をデザインする。
この概念は非常に可能性があると思っている。
オブジェクトをそのものを表現としてきたこれまでのデザインを否定し、
そこから先の見えない対象をデザインすることは、なかなか理解が得られないし、
挑戦していても、商業的で前例のある安易な表現に落ち着いてしまうのが問題だ。
(美味しそうに感じる、商品の魅力を感じる、楽しくなる、など)
この壁を打破するには、もっと自分の内面と向き合い、思想を固めなければならない。
単一の対象についての回答ではなく、一貫して訴えるべき哲学が必要だと思う。
建築だけに向き合っていた頃には、思想を前面に押し出す建築家が多かったため、
自然と同じような考えが身に付き、容易に真似をすることができていた。
しかし、それは自分の言葉ではなかったのではないか。
誰かが言っていたことを自分好みに寄せ集め、置き換えただけではなかったか。
先ず言葉があり、それが表現となり、ものが生まれるのだ。
安易に、ものをつくるところから始めてはいけない。
26:
見た目の派手さや斬新さを追い求めることは、
お店をやろうとしているのなら商売として重要なポイントだし、
デザイナーとしても評価の対象になりやすい。
短期間での回収を目的とするのであれば、
必要不可欠なことだと思う。
しかし、そうではない選択肢もあるはずだ。
インパクトがなくても、流行に乗っていなくても、
違和感がなく、全てがあるべくしてそこにあり、
自然体で無理がなく、ずっと前からこうあったかのようで、
何十年後もこのままあるかのような感覚。
お店のスタッフの性格やビジョン、場所の力、商品の力、客層、
そこにひとひねりの面白さを加えて、そのうえで全てがフィットしたとき、
不思議な力が生まれるのだと思う。
商売をやろうとしている方は、当然採算ベースで物事を考えなければならず、
こういう控えめな要求を求めてくる人は滅多にいないため、
デザインする側がウリとして押し出すことは難しい。
また、デザインの力で無理に実現しようとしてもできるものではなく、
少なくとも現時点では、結果的にそうなった、というレベルである。
自分にはまだ、確実にそこに導くまでの力がない。
とはいえ、常にこのゴールを意識してデザインをしていれば
いずれ、自然にできるようになるのかもしれない。
それが結果として自分の作家性につながっていくのだろう。
作家性は目標として設定して目指すものではなく、
自己の内面を掘り下げて、悩みぬき、試行錯誤を繰り返して
作り続けてきたものから、結果的に生まれるものなのだと思う。
25:
プロジェクトマネジメントの必要性を感じ、勉強中。
ひとりでプロジェクトを管理していると、
進行管理も実作業も全てこなさなくてはならない。
計画的に進めていても、切羽詰ってくると計画を立てる余裕すらなくなり、
目の前にあることにかかりきりになったり、思いついた順にひたすら
作業することになりがち。
また、プロジェクト全体を体系的に把握し、問題を事前に予知しなければ
いけないのだが、それも経験則と捉えてしまっていた。
以前のような小規模な案件なら、多少のエラーは吸収できたが、
規模が大きくなったり、パートナーがいたりするとそれも難しくなってくる。
将来的に人を使うことになったりしたらなおさらだ。
というわけで、プロジェクトマネジメントということになった。
プロジェクトマネジメントは
アメリカ国防総省が発祥の概念で、軍事分野や宇宙開発分野の
プロジェクト管理のために使用されてきたらしい。
次第に民間でも活用されるようになり、建築や大規模な製造業、
造船、都市計画など規模の大きいプロジェクトの管理に応用され、
近年、ソフトウェア開発やシステム開発分野で脚光を浴びた。
あらゆる分野に応用可能ということなので、
カテゴリの枠を超えて仕事をしていく上での問題も、
これでカバーできるようになることを期待している。
24:
必然性のあるものづくり。
必然性のあるデザイン。
作家性の排除は、これまでの所謂「作品」としてのデザインに対する
アンチズムでしかないのではないだろうか。
あるべくしてある、自然に溶け合って一見気がつかない、
だけど心地よく、こうしかありえないと思わせる、
空気のような作家性。
問題は、デザイン市場において競争力がないということ。
明確な需要があって、供給すべくして存在する考えではないということ。
付加価値として明確には成立しにくいということ。
計画過程で説明し、理解してもらうことが難しいということ
自分がそうしたい、心地よいと思えるからそうするだけである。
ということは、これはすでに俺の作家性と言うことができるのか。
引き算のデザインと言う事もできるのだろうか。
しかし、物理的な意味での引き算のデザインではない、
概念やコンセプト面での引き算でもない、
できたものを見たり、体験する人の心の中に形作られる印象の、
入り方の部分を引き算しているような感覚。
糸のようにすっと入り込み、そこから各人の感じ方が無限に広がるような、
一滴の水滴が落ちた途端に、色鮮やかな世界が広がるような。
形そのものではなく、印象をデザインしたいということは
ずっと前から考えていたのだった。
意図したところで容易くできるものではないのがもどかしい。
作り続けていく中で、たまたま生まれたものがそれだったと気付いたとき、
できるようになるものなのだろうか。
